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「敦煌」が封切られる。 / 水俣の日本窒素工場付属病院院長から、原因不明の中枢神経疾患が多発しているとの報告がなされる。 / 国学者本居宣長が、儒者の市川匡麿への反批判書として「葛花」を著す。 / 上杉景勝が、会津に移封となる。 / タイのバンコクで行われていたアジア欧州会議(ASEM)が、2つの地域の連携を強化することなどをうたった議長声明を採択して閉会する。 / 東海大学附属病院で、家族に楽にさせて欲しいと要請された担当医師の徳永雅仁助手が末期癌の男性患者(38)に塩化カリウムを注射し、死亡させる。 / 科学技術庁が、トリチウム漏れの通報遅れを出した動燃の「ふげん」を廃炉にする方針を固める。 / 崇徳上皇方が本営を前斎院御所から白河北殿に移し、東三条殿の後白河天皇方と賀茂川をはさんで相対峙する。後白河天皇自身は東三条の南隣の高松殿に居する。 / 幕府が越前永平寺の造営費として、北陸道7ヵ国に臨時の税である段銭(だんせん)を課す。 / 淳君殺害事件で、捜査本部内に特別警戒対策班が発足する。 / >
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